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谷中霊園(台東区)伊達宗城墓

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Photos: 谷中霊園(台東区)伊達宗城墓

Photos: 谷中霊園(台東区)伊達宗陳墓 Photos: 谷中霊園(台東区)ニコライ・カサーツキン墓

mixi記事コピペ――2010年12月04日 15:10
●伊達宗城(むねなり)――
宇和島藩8代藩主。明治時代の政治家、伯爵のち侯爵。幼名、亀三郎。江戸出身。父、旗本山口直勝(次男)。宇和島藩家臣伊達寿光の養子になり後、文政12(1829)年藩主伊達宗紀の養子に。天保15(1844)年宗紀の隠居に伴い藩主に。後に宗紀の実子として生まれた宗徳に藩主の座を譲る。
宗城は福井藩主松平春嶽、土佐藩主山内容堂、薩摩藩主島津斉彬らと共に幕末の四賢侯と称された。藩政の重点を富国強兵におき、殖産興業政策をとり、一方、高野長英や大村益次郎を招き、西洋兵学を研究し藩兵の洋式訓練を行う。13代将軍徳川家定の後継問題で井伊直弼と対立。結局、井伊直弼の推す徳川慶福が14代将軍家茂となった。
慶応3年12月(1868年1月)王政復古の後は新政府の閣僚となった。しかし明治元(1868)年戊辰戦争が始まると薩長の行動に抗議して新政府参謀を辞任した。明治2(1869)年民部卿兼大蔵卿となって、鉄道敷設のためイギリスからの借款を取り付けた。明治4(1871)年には欽差全権大臣として清との間で日清修好条規に調印、その後は主に英国エジンバラ公、ロシア国アレクセイ王子、米国グラント大統領など外国貴賓の接待役に任ぜられた。しかし、その年に中央政界より引退している。
旭日大授章。75歳。夫人は鍋島斉の娘益姫。

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