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小牧山城(小牧市営 史跡小牧山公園)搦手口

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Photos: 小牧山城(小牧市営 史跡小牧山公園)搦手口

Photos: 小牧山城(小牧市営 史跡小牧山公園)搦手口 Photos: 小牧山城(小牧市営 史跡小牧山公園)北面水堀・土塁

mixi記事コピペ――2016年06月25日 22:22

16.06.15.
築城年、永禄6(1563)年
築城主、織田信長
城主、織田氏、徳川氏
廃城年、永禄10(1567)年
標高86m/比高70m
遺構、曲輪・井戸・土塁。

山全体が縄張(約21ha)とされ、多数の曲輪と重臣の館が設けられた。
山麓南側から西側にかけて、清須から移転させられた城下町が作られた。
織田軍は小牧山城を本拠地として美濃侵攻を繰り返す。

永禄3年5月19日(1560年6月12日)、桶狭間の戦い。
同年8月、美濃攻め開始。
永禄5年1月15日(1562年2月18日)、徳川家康と清洲同盟締結。
東からの脅威に防備を得た信長は、全力で美濃を攻める体制をつくるために、本拠地ごと北方へ前進する策を採った。それが小牧山。広大な濃尾平野の中に屹然と存在する。


永禄10年8月15日(1567年9月17日)、稲葉山城をついに落とす。
信長は稲葉山城を岐阜城と改めて移住。再び本拠地を移動させた。
小牧山城はわずか4年で役目を終えたと破却された。

天正12(1584)年、小牧・長久手合戦。徳川家康はいち早く小牧山に目を付けて本陣を置いた。秀吉陣営も小牧山を陣地にと考案していたため、これを悔やんだと伝える。
家康は信長の築いた城跡の土塁、空堀などに大規模な改修を施し、城砦と呼べる強固な陣城が築かれた。
歴史に語られる秀吉陣営の失策──これも原因のひとつ。池田恒興┐(-△-)┌ 森長可┐(-_-)┌

昭和42(1967)年、実業家 平松茂氏が小牧城(現在建っている城)を建設。完成後、小牧市返金寄贈。
翌年4月1日、小牧市歴史館(小牧城)が開館された。


愛知県巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1Tm1-ahglvSiA7Y84fIdQmf0jGdA&usp=sharing

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