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25.3.19鹽竈神社の蝋梅

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Photos: 25.3.19鹽竈神社の蝋梅

Photos: 25.3.23鹽竈神社の梅 Photos: 25.3.19榴ヶ岡天満宮の梅

陸奥國一之宮・鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山)境内の蝋梅(ロウバイ)です。林子平(友直)が長崎遊学の際,支那より渡来の蝋梅に魅せられ,これを持ち帰って鹽竈神社社家(神官)・藤塚知明に贈ったものを,知明没後にこの地に移植したものとのことです。子平は「寛政の三奇人」の一人(他の2人は,高山彦九郎,蒲生君平)で,「三国通覧図説」,「海国兵談」などの著作で海防の必要性を説きましたが,儒教(儒学)信奉者で世界を見ようとしない老中・松平定信によって弾圧(両著とも発禁,「海国兵談」は版木没収,子平は蟄居処分)され,失意のうちに死去しました。子平は「親も無し 妻無し子無し 版木無し 金も無けれど 死にたくも無し」と嘆き,自ら六無斎(ろくむさい)と号しましたが,現代も国家(国民とその政府)にとって最も重要な国防がまったくわかっていない政治家が多過ぎます。知明は現・石巻市雄勝町大須の漁師の子として生まれましたが,その英才ぶりを認められ,鹽竈神社社家・藤塚知直の養子となりました。知明は子平の同志であり,パトロンでもありました。知明は北辺の守護神・塩土老翁神(鹽竈神社別宮の祭神)が鹽竈神社の主祭神であると主張し,復古神道を唱え,寛政10年(1798年)神仏混淆を排撃する行動に出て(鹽竈神社を支配する「別当寺」の法蓮寺(真言宗)が鹽竈神社各本殿内に仏舎利を置くなどしたことに対し,仙台藩に法蓮寺の横暴と仏舎利撤去を直訴したもので,「仏舎利事件」と呼ばれています。)流刑(御預け)の身となり,配所の現・石巻市鹿又で亡くなっています。

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